【ショートショート】「ヨモギのあんころ餅」【書いてみた】

暮らし・教養

映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」を観たことをきっかけに、インターネットの電子図書館と呼ばれる「青空文庫」で最近いろんな作品を読んでいると、ふと文章が浮かんできたのでここに残しておきたいと思います。

ちなみに「ソラリ」というアプリをダウンロードすれば青空文庫にある書籍をタブレットで読むこともできます。

難しい漢字や単語が多いので「漢字読み方検索」というアプリも合わせてダウンロードしておけば、手書きで漢字の読み方や単語の意味を検索できるので便利ですよ😄

【参考】

ヨモギのあんころ餅

ふと、ヨモギのあんころ餅が食べたくなってしまいました。
ヨモギの香りがフワッと漂う甘いあんころ餅が食べたくなってしまったのです。
口はヨモギのあんころ餅を受け入れる準備はバッチリだという感じで、頭もヨモギのあんころ餅のことしか考えられないとでも言うかのようになってしまっています。
こうなってしまっては大変です。
ヨモギのあんころ餅が戸棚にあるならば、何の問題もなく口の中に放り込んでやるのですが、生憎そんな気の利いたものは常備しておりません。
では買いに行くのはどうか?
ヨモギのあんころ餅を買うくらいのお金ならあります。
でも、これも、またしても、ダメです。
脚が、身体が、「嫌だ行きたくない、メンドクサイ」と主張するのです。
これは困った。
同じ私の身体の一部なのに、主張が一致しないのです。
え?私?私は身体のどの部分かですって?
・・・私はどこにいるんでしょうかね?

あとがき

自我とは何なのか?
魂と呼ばれるものなのか?脳のシナプスによる電気信号のやり取りのことなのか?
自我が単なるタンパク質の電気信号のやり取りであるならば、なぜ古来より人々は魂やあの世の存在を信じ続けてきたのか?

死後が何も無い完全なる無だと考えるのが余りにも怖いからでしょうか?
人間が、本当のことではなく信じたいと思ったことを信じる生き物だからでしょうか?

ふとした瞬間にこんな哲学的な自問自答をやっております。たま~にね。
自称哲学者のゆとりと申します。